現実は常に公式からはみ出す。(ファーブル)

ちなみにファーブル昆虫記の人です。 人生生きていればこんなことの繰り返しかもしれませんね。 上のタイトルの 「現実は常に公式からはみ出す」 長益もたくさん公式からはみ出して生きてきました。特に大人になってからはみ出してしまいました。 仕事もたくさん変わってきたし、好きになってはいけない人を好きになったこともあったし、まさかこんな自分がこうして家庭を持っていること自体が昔は考えら…

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欲しくて悩み、あるから悩み、失って悩む。金銭に悩んでいたらきりがない。(ローガウ)

お金に悩む人生の愚かさを言っています。 このタイトルの言葉。長益も「半分は同意、半分はうーん、、、」という感じです。現代社会を生きる我々にとって「お金」は大事です。最近はミニマリストという言葉もあり「モノを持たない人生が至高!」というような人も多くいて、なんでもかんでも「いらない!」と主張する人もいます。 その中には「お金なんて悪だ!」という人もいるようです。 「ちょっと極端す…

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室町幕府八代将軍、足利義政のことを勝手に想像してみた。

希望と絶望が入り混じる。久しぶりの更新になります。最近、夏バテなのか食事もあまり取ることができず、夜も早くに寝てしまう(21時、早いときは20時半)ことが多かったのでブログの更新をすることができていませんでした。今日はちょっと元気なので頑張ります。 今回は室町幕府8代目征夷大将軍「足利義政」について記事にしていきます。いつもなら義政の生まれた年からどんな官位を叙任されどんな人生を歩んでいた…

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応仁の乱「一条大宮の戦い」

このブログは室町時代の将軍を解説するとともに、室町時代のこと、南北朝時代のことを中心に記事にしていこうと思います。 室町幕府はもちろん、室町時代のことをマニアックに書いていこうと思いますのでよろしくお願いします。 細川勝元が本格参戦。 細川勝元は初戦、畠山政長の応援に駆け付けることはしませんでした。結果畠山政長が上御霊社を焼き退却。地方では赤松政則の軍勢が旧領土である播磨や備前を奪…

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応仁の乱解説。上御霊社の戦い。

ついに義就と政長が激突!応仁の乱の1回戦がつに始まりました!何度も記事にしてきた畠山義就と畠山政長が京の地で激突。 この応仁の乱が始まった1467年は当時の室町幕府の将軍であった足利義政の「やらかし」から始まりました。それというのも1460年に細川勝元からの口利きで畠山義就が家督を罷免され、政長が家督継承者となっていました。今度は義就を推す山名宗全が足利義政に讒言し、今度は政長を罷免。管領…

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仇敵となった義就と政長。

最大の火種はこの人?前回の記事では、「三管」の一つである畠山家の内紛について書きました。今回ももう少し書いてみようかなと思います。弥三郎側と義就側とで真っ二つに割れてしまい、それに山名、細川といった守護、管領が介入してくることになりました※前回の記事当初は義就側が有利でしたが、弥三郎側を細川家が保護します。さらに政治力に優れていた細川勝元が時の将軍足利義政に働きかけいつのまにか弥三郎が畠山家…

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ワールドカップを見て思うこと。

ワールドカップを見ての感想。ワールドカップが思いもよらぬ日本代表の活躍で盛り上がっています。大会前は「おっさんジャパン」「思い出作りチーム」等散々書かれていた日本代表でしたが初戦のコロンビア戦では2対1での奇跡的勝利でした。続く、セネガル戦でも2対2の同点。いずれもランキング上位の相手に我らが日本代表が戦い、優位に試合を運んでいます。国内は盛り上がり、サッカー業界の人達も大忙しではないでしょ…

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応仁の乱の原因の一つである畠山家の内紛。

これが最大の原因?畠山家というものすごく巨大な勢力な守護がいます。そう、室町幕府で管領を輩出する家柄「細川、斯波、畠山」の足利一門に連なる大名家です。その畠山家にも跡継ぎの問題でドタバタが繰り広げられていました。元々畠山家は鎌倉幕府の執権北条家の流れでさらに足利家とも血縁があります。その為室町幕府が成立した時も有力な守護になりえたわけです。しかし当時(1448年頃)の惣領(当主)である畠山持…

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室町幕府滅亡はいつ?

室町幕府はいつ滅亡したか?今回は歴史上の出来事の紹介ではなく、個人的な見解を述べてみたいと思います。テーマはズバリ!!「室町幕府滅亡はいつ?」なのか?最後の初代足利尊氏から始まって15代足利義昭まで約250年。歴史でしってる通り、室町幕府も滅亡します。諸行無常、栄枯盛衰、栄えるものは必ず滅びます。 まずはたくさんの候補を挙げていきたいと思います。①  足利義昭が織田信長に反攻し、信長が槇島…

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ヒーロー不在?応仁の乱勃発。

ついに勃発!室町最大の大乱。前回の記事で、鎌倉府は一旦滅亡しましたが、足利持氏の遺児、足利成氏が再び鎌倉府を再興しました。しかし、関東管領の上杉憲忠と上手くいかずに軍事力を行使することになってしまいました。※前回の記事この享徳の乱が起こったことで、足利成氏は鎌倉府を幕府軍に奪われ鎌倉に入れず、下総の「古河」に入り、以後、「古河公方」と呼ばれるようになります。幕府は幕府で関東を安定させようと時…

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